『夜の旅と昇天』物語、イスラ・ミラージュ(Isra Mi'raj)は、預言者ムハンマドの天上界への夜旅を描いた物語で、ある夜、ムハンマドは天使ガブリエルに導かれ、ブラクという羽の生えた馬に乗って、メッカからエルサレムのモスクへ、そこからさらに天上世界へと旅をする。ムハンマドは旅の途中で、彼以前の預言者達と会い、最後に最上層においてアッラーに謁見し、そこで人間が1日5回の祈りをすることを約束し、地上に戻ってくる。この物語は、イスラームの到来とともに東南アジア各地に伝わり、様々な言語(マレー語、ジャワ語、スンダ語、マドゥラ語、アチェ語、ブギス語など)で語られ、多くの写本を残してきた。また、様々な祭行事として発展しているケースも見られる。
 ジャワで最も古いミラージュ物語とされている写本は、マタラム王国末期にパクブウォノ1世(在位1704?1719)の王妃が1729-30年に書かせた3つの書の1つ、キターブ・ウスルビヤ(Kitab Usulbiyah)で、王妃が孫のパクブウォノ2世(在位1726-1749)の統治が安寧なものになるようにイスラームの加護を求めて書かせたものである。マタラム王国分裂後も、ミラージュ物語は他の多くの宗教説話とともに王宮で写本が続けられ、当時のジャワ文学の韻文のスタイルを用いた宗教文学の一つとなった。
 一方、17?18世紀、マレー世界では、イスラーム学者達の宗教活動が活発化し、中東のイスラーム学の書籍がマレー語(アラビア文字)に翻訳され、宗教学校等での教育に利用されるようになっていた。学校の増加とともに、キターブと呼ばれるイスラーム学教科書の需要が増加し、19世紀中葉にはシンガポールやボンベイの出版業者が東南アジアのムスリム市場に向けて、キターブの出版を開始した。ミラージュ物語も1870年代から出版され、マレー語版はダウド・パタニが執筆したものが定番となった(ジャワ語版はソレ・ダラットが書いたものがある)。マレー語、ジャワ語ともに散文形式で、ムハンマドの物語として、また他の預言者、天国と地獄、他宗教との相違、5回の祈りの意味などの宗教教育を含んだテキストとして、キターブのなかに組み入れられていった。
 20世紀になると、エジプトで出版されたキターブが東南アジアに数多く参入するようになり、ジャワでもアラブ人商人達が書店を開業する。これはカイロで学んだ学生達がそれまでの出版物に加えて、新しいキターブを作り出していったことによる。より原典に近いものを望むイスラーム学者及びその生徒たちによって、キターブはアラビア語またはアラビア語文献の出典が明示されたものとなり、キターブとしての形式が整えられていった。ミラージュ物語も、出典となるアラビア語文献が明示されているものがあらたに出版され、これが現在パタニ版に代わる定番となった。多くの宗教説話が写本文化の終焉とともに消えて行くなか、ミラージュ物語は出版された宗教教科書の一つとして形をとどめることになった。